戦い方の探索者

戦いの法則にせまり、自分の戦い方を築く助けとする

掎角の勢(キカクのセイ) その3

 

●計の説明
軍勢を二手に分けて、連携して敵にあたること。

 

 

────────────────────────────────────────────
事例6 (ニ巻 444)


●計を立てた人
曹仁

 

●計の対象
周瑜

 


周瑜曹仁を攻めた。
曹仁は、曹洪に別の城を守らせ、二つの城でもって掎角の勢をとった。

 

周瑜が別動隊を出して曹洪を攻めたさい、曹洪は城を出て戦ったものの、あっという間に敗れ、城を奪い取られた。
(掎角の勢はくずれる)

 

その後、曹洪は援軍と合流、奪われた城を囲んで周瑜の別動隊を孤立させた。
周瑜の別動隊は危機におちいったものの、周瑜が駆けつけ、協力して曹洪を撃破した。

 



曹洪が城を出て戦ったのは、曹洪への援軍として出発していた曹純が「城を出て敵を誘え」と手紙を出したからなのですが、その行動によって城を奪われるはめになりました。

 

曹純としては、
曹洪が城の外に出て敵を誘う(そうすることで、敵の目が接近中の曹純たちへいかなくなる)」
→「曹洪と敵が戦っているさなかに、曹純たちが到着して敵をはさみ撃ち」
という段取りだったのでしょうか?

 

もしそうなら、曹洪がさっさと敗れてしまったことや、曹洪と敵が戦っているタイミングに曹純が到着できなかったことはイタイ点ですが…
うーん、この作戦が「城を保持する」ことよりも優先してするべきことなのか疑問が残ります。
曹洪が城の城壁を頼みにして守っていれば、どのみち曹純は到着するのではさみ撃ちにできますし)

 

あるいは、敵をわざと城に入れて、包囲して孤立させることが計だったのでしょうか。
それを意図したというような描写は文中にはありませんが…

 

 

────────────────────────────────────────────
事例7 (四巻 115)

 

●計を立てた人
王平

 

●計の対象
司馬懿

 


諸葛亮馬謖王平、2人でここを守備してくれ」
馬謖王平「了解しました!」

 

馬謖「この山の上に陣をしくよ~」
王平「いけません!この地形をみるに、水の補給が困難となります!」
馬謖「却下~!山の上!!」
王平「ではせめて、私が別の場所に陣をしくことで、掎角の勢をとらせてください!」
馬謖「却下~!山の上!」
王平「なにとぞ!」
馬謖「却下~!山の上!」

兵「司馬懿軍が接近しております!」

馬謖「え~、マジ~?!……しょんなか、掎角の勢をとればいいじゃん」


司馬懿「戦場に到着してみれば、なにあの山の上の陣。わらうw 包囲しょ。
あと、別動隊がいるようだから、部隊をさしむけて進路を遮断しておこ」

 

馬謖「ひえ~、山を囲まれた~、敵が強くて兵の士気が下がるんじゃあ~、水と食糧がないんじゃあ~
……逃げよ。バイビー!」

諸葛亮「え、守れなかった…?マジで?!きつ。全軍撤退しょ」

王平「次回、三国志演義泣いて馬謖を斬る!』 みてください!」

 



キカクの勢は、司馬懿の対処(進路の遮断)によって効果を発揮できなかった。