戦い方の探索者

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論語19-3 孔子の弟子Aの弟子

参考文献の一冊「完訳 論語」の井波律子さんは、弟子Bは「過剰にやり過ぎる」性質だったので、「もしわたしが大賢者~」以降の発言は言い過ぎに感じる、と書かれていました。
わたしもそう思います。

 

そもそも弟子Bは弟子Aの教えている内容を聞く必要はなく、また、その内容の否定をまくしたてることもなく、自分の意見を弟子たちに教えたら、あとの判断は弟子たちに委ねてよかったのではないでしょうか。
(そういうほうが孔子的なのかな、と思います)

 

ちなみにわたしは、17-24の「憎い者」みたいな人は、弟子Aの言うとおり遠ざけるのが良いと考えています。
理由は以下。
・そういう人から被害を受けやすいのは、そういう人の近くにいる人だから。(君子、危うきに近寄らず)
・そういう人が近くに長くいると、無意識のうちによろしくない影響を受け続けることになるから。(朱に交われば赤くなる。これも「被害」ですね)

 

まあ、「憎い者」などの性質は、ある程度近くまで接近しないとわからないこともあるので、近づいて(ある程度受け入れて)→観測して→判明したら→遠ざける、という流れになると思います。

 

もちろん、この「遠ざける」のは、お互い様です。
(わたしが相手を遠ざける行為をする以上、相手がわたしを遠ざける行為を受け入れる)