戦い方の探索者

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知能向上

論語19-4 技術や専門的知識

※孔子の弟子の言葉。 技術や専門的知識は、「手段」を与えるが「大局的な(遠大な)目的」を与えない。だから、学ぶさいの主目的にはしない。 ということか。

論語17-7 六つの考えとその害

文中の「○○を学ばなければ」の○○は、わたしが考えたものです。原文は、「学を好まず(学問を好まなければ)」としか書かれていないので、学ぶ対象として妥当ではないかと思われるものを考えました。 異論は認める。

論語15-31 わたしは以前一日中

考える、という行為は、頭の中にある情報や知識を分解したり組み合わせたりする作業なので、情報や知識が頭の中に無いと意味がない。 たとえるなら、材料が無いのに料理をしても意味はない。 ことわざで言うところの、下手の考え休むに似たり。

論語15-30 失敗したのにそこから

失敗は、改善点を得るチャンス。(もちろん、「致命的」な失敗はそこで終わりですが)

論語15-28 世の中の大勢の人が

世の中の大勢が、1つの側の意見に流れているとき、調べずにすぐ信じるな。調べずにすぐシェアするな。調べずにすぐ「いいね」するな。 孔子が生きていた時代にSNSがあったなら、相当激おこ案件多発しそう...…

論語15-12 遠くのことまで見通して

長期的(大局的)な視点がないのでは、行き当たりばったりでトラブル続出。

論語15-8 その人が自分にとって話

語り合うべき人に対しては、機会を逃さず話す。語り合うべきでない人に対しては、スルーする。 チャンスをとらえ、ムダな行動はしない。

論語13-17 弟子が都市の長官に

結果を急ぐと、過程をすっ飛ばしたり、過程の処理が雑になるので、結局目的を達成できなくなって結果が出ない。 局地的利益(短期的利益、部分最適)を優先することにより、大局的利益(長期的利益、全体最適)のために必要な資源が投入されず、その利益が損なわ…

論語12-22 仁とは人間を愛する

人間の性質を知り、善い方向へ使うことが「知」であるといえるか。 ※ちなみに、孔子は、弟子の個性や能力に応じて質問への回答を変え、相手が理解しやすいようにしていた模様。 仁についての回答の、別の弟子の場合のものは12-1を参照。

論語8-17 学問をするときには

自分が学ぶ分野の、知識のアップデートをし続けろ。 ということなのか、あるいは、 知れば知るほど知らないことが増えていく、という現実に直面すると、どこに焦点を絞って進んでいいのかちょっとわからなくなる、 ということなのか。

論語7-27 世の中にはその分野

「言う前に調べよ」わたしも創作をする以上、つねづね自戒すべき言葉。 ※最後の文の解釈については、「(自分で作らず、すぐれたものを選びとることは)完全な知性とは言えないが、それに次ぐものである」というものもある。こちらも理にかなう。

論語6-20 とあることを頭で知って

※之を知る者は、之を好む者に如かず。之を好む者は、之を楽しむ者に如かず。(これをしるものは これをこのむものにしかず これをこのむものは これをたのしむものにしかず)よく引用される名言。 とあることを知っているだけの人は、そのことに対する理解は、…

論語5-22 孔子がある国に

知識は実践あってこそ。 4-22でも似たようなことが言われている。

論語5-20 とある人は慎重すぎた

たしかに。 なんでもかんでも熟慮すると、一つの決定に対する時間と労力の失われ方が、ものすごいことになりそう。

論語4-14 自分の活躍する地位

1-16とほぼ同じ内容。 大事なことなので(以下略

論語3-3 事実に対する

この回では、原文の「仁」を「すべてのものに対する愛」、ひいては、論ずるさいに必要な「事実に対する愛」と解釈。 一般的には、「人間愛のない人間が、学問や文化を語っても意味がない」という解釈がされている。これはこれで、そうなんだろうという感じ。

論語2-17 知るとは何か

無知の知。ソクラテスがそんなことを言ったと聞いたことがあるが、孔子も言っていたのか… 実際、自分が何を知っていて何を知らないかを理解していないと、つまり現状を把握していないと、次の一手をどう打てばいいのかわからんちん。

論語2-15 読書をしたり

知識を運用するには、「実践するのに適したまとめかた」(実践用の体系化)がなされている必要がある。なので、頭に入れたものは、実践を前提にして考え、きちんとまとめておく。 また、乏しい知識や情報をもとにして考えると、その乏しさゆえの「狭い範囲」…

論語2-11 過去に起きた事実

「過去に起きた事実から、現在の現実の問題に適用できる知恵を抽出する。それでこそ教師」 つまり、単に過去に起きた事実を知ってそのまま伝えることは、人に教えて導く能力ではないということ。知恵の実践(現実への適用)を前提にしてこそ、現実に生きる人…

論語1-16 人から認められていない

他人に評価されていない状態という、目の前に現れている結果に対しては感情的な反応をせずに淡々と受け入れ、その原因である自分の能力のなさという問題に、意識を振り向けて改善せよ、ということか。