2023-09-08から1日間の記事一覧
※之を知る者は、之を好む者に如かず。之を好む者は、之を楽しむ者に如かず。(これをしるものは これをこのむものにしかず これをこのむものは これをたのしむものにしかず)よく引用される名言。 とあることを知っているだけの人は、そのことに対する理解は、…
ゆるっとしすぎず、なんでもかんでも(文化的な)基準や形式に照らして対処しすぎず、そのバランスをとれ、というオハナシ。 「目指すバランス」はみんな一緒かもしれないが、「バランスのとり方」は、各自の個性や生活している環境によって、人ごとに異なる…
人格と知性(ここでは大局的視点)、ともにそろって教養人。
※文字訂正 実力不足があれば→実力不足であれば 自分の限界をかってに決めて、できないと決めつけるな。 実践しないと、実力不足かどうかさえわからないでしょ。(実践すると、実力不足である場合には、実力不足であるということの客観的な評価が得られる。そ…
「自分の過ちを認める」ということの実践を、きちんと行えている者はいない。 自分の過ちを認識し、それを受け入れる誠実さ(真摯さ)。 実はこれこそが、自身の成長のために不可欠な要素。
他者に対する「礼」は、「仁(誠実な思いやり)」が具体的な形になったものである。なので、「仁」の無い、形だけの「礼」をとることは不誠実なので恥じる。他者へ「礼」をとるときには、心からの「仁」が伴うべきである。 形だけの「礼」をとることを恥じる…
知識は実践あってこそ。 4-22でも似たようなことが言われている。
世が乱れて誠実(道徳)が薄れたときにこそ、その誠実を身で示すまさに人間の鑑。 こういう人が理想であるが、どこまで近づけるのやら。しかし少なくとも、こういう人を見つけたら、その人に何らかの形で力をかしたい。
たしかに。 なんでもかんでも熟慮すると、一つの決定に対する時間と労力の失われ方が、ものすごいことになりそう。
「つきあいが長くなっても、敬意を持ち続ける。」 たしかに、どれだけ仲良くなっても「互いの敬意の喪失」という一線をこえると、その関係は破綻する。敬意は持ち続けたほうがよい。 ただ、当初はどんな相手にも敬意をもちつつも、その相手が自己中心的で自…
人と一緒にいたいのなら、人格者を目指したほうがいい。
学問は実践あってこそ。実践するスキルは、話すスキルよりも重要。
すぐれた人物はもちろん自分の成長の役に立つし、愚かな人物も反面教師として自分の成長の役に立つ。
ことわりか、損得か。物事を見たときに、どこに反応するかで、相手の人格的境地がわかる。 この「ことわり」を「万物の真理」と解釈するか、「人の道にかなうもの(道徳的に問題ないもの)」と解釈するかで、意味は変わる。 「万物の真理」に反応する、とし…
1-16とほぼ同じ内容。 大事なことなので(以下略
自分の損得の勘定を優先させ続けていると、人を簡単に裏切ることもいとわなくなっていくでしょうしね……
これが人間の格(人格)の違いか…
主観的な好き嫌いではなく、客観的な物事の筋道に従うほうが、大局を観ることにつながるし、判断の精度が上がる。 ただまあ、エンタメを楽しむようなごく個人的なことなどは、好き嫌いでいいと思う。
粗末な服装や食事?それがどうした!かかげたこころざし(目的)の前には、そのようなことは問題ではない。 貧しさを恥じるくらいなら、リスクを背負うこころざしなど抱かず、貧しさを避ける手を打っておくほうがいい。同志とは、同様のリスクテイカーのこと…
※「朝に道を聞かば、夕べに死すとも可なり(あしたにみちをきかば ゆうべにしすともかなり)」。名言の一つ。 これは孔子の例。 うーん、わたしがその日の晩に死んでいいと思えるには、その日の朝に何が実現されなければならないのか?自分の目的について考え…