戦い方の探索者

戦い方の探索者であるとともに、勝利の支援者としてありたい

捕捉やら、あれこれ

 


「知能的スキル、身体的スキル、精神的スキル」という3つの要素について説明しましたが、では、なぜスポーツでよく使用されている「心技体」の3つの要素ではないのか?

 

この問いについて、以下の①②の順番で説明します。
①心技体という分類への違和感
②不足している要素を明確にする

 


①心技体という分類への違和感

 

心技体は、辞書によると、
心:精神力
技:技術
体:体力
であるとされています。
(そして、スポーツにおいてもおおむねこの意味で使用されているように見受けられます)

 

しかし、ぱっと見、「技:技術」だけ、この心技体の中で浮いてしまっています。
なぜかと考えたところ、「技:技術」は、「心」と「体」とは意味の階層が異なるからです。

 

「技術」の意味は、辞書によると「物事を巧みにしとげるわざ」であり、スポーツにおいてもそれは変わらないと思います。
(たとえば、サッカーにはさまざまな種類の技術(シュート、パス、トラップなど、また、それらの細かい技術)がありますが、それらはすべて「自分たちがゴールを入れる、あるいは、相手のゴールを阻止する、という目的を巧みに(効率的に)しとげるわざ」であるわけです)

 

そして、この「物事を巧みにしとげるわざ」には、「心のわざ(メンタルコントロール)」と「体のわざ(一般的な"技")」が含まれています。


つまり、心技体を意味によって階層分けすると、
技(心、体)
という状態になります。

 

そういった状態であるのに、「心技体」と並列に表示されているので、「技:技術」だけ浮いている、という違和感を感じたわけです。
この並列表示は、なんとかしたほうがいいでしょう。

 


②不足している重要な要素を明確にする

 

競争をするスポーツやゲームでは、戦術、戦略、そしてそれらに関連して行われる駆け引きは、とても重要な要素です。

 

心技体の分類では、この戦術、戦略などの要素は、「技:技術」の「術」の部分に含まれていると考えられ、「物事を巧みにしとげるわざ」でいうと、「頭のわざ」にあたるでしょう。
しかし、「頭のわざ」を表す「技術」の「術」の文字は、「心技体」と表示されると、表示から消えてしまいます。

 

つまり、「頭のわざ」の重要性が認識されにくい表示になってしまっています。
この「頭のわざ」の表示の不足は、なんとかしたほうがいいでしょう。

 


ということで、この「頭のわざ」を、①で示した「技(心、体)」の状態に含めてみます。
すると、「技(心、体、頭)」という表示になります。

 

この「技(心、体、頭)」を、表現を変えたり順番を入れ替えたりすると、「知能的スキル、身体的スキル、精神的スキル」という分類になります。

 

おお…!
これで違和感がとれて、すっきりしました。

 

知識の整理には、「漏れなくダブりなく(MECE)」と言われますが、これなら大丈夫でしょ!(たぶん)

 

 


●ゲームを楽しく遊ぶためのスキルについて

 

私は「知能的スキル、身体的スキル、精神的スキル」という3つのスキルについて説明をしましたが、これらは当然ながらゲームが上手くなるためのスキルです。


ゲームが上手くなることによってゲームが楽しくなる、という側面はあるものの、この3つのスキルはかならずしもゲームを楽しむために必要なスキルではない、という点に注意をしてこれらの知識を用いてください。

 

というより、1人でプレイするゲームに、楽しむために必要なスキルなんてものはないでしょう。
好きなようにやればいいのです。
あえて言うなら、「~のためには~が必要だ!」と決めてかかってしまうような窮屈さはないほうがいいと思います。
のびのびやろうぜ!

 

ただ、2人以上でプレイするゲームを楽しむには、また別のスキルが必要となります。
それは、「みんなが楽しくプレイするための配慮ができる、気配りスキル」です。

 

「場」を楽しくするには、その「場」にいる人間全員が、「場」の楽しさを損なわないように行動することが必要です。
(複数人が集う場の楽しさとは、誰かに与えられるものではなく、みんなで作り上げるものです)
ゲームにおいても、この点は例外ではありません。

 

いや、むしろ、ゲームは競争をすることが多いがゆえに、なおさら気配りスキルが必要となります。

 

相手のプレイを否定しない。
相手のプレイにあれこれ口出ししない。(特に、初めてそのゲームをプレイした人に、あれこれゲーム上のセオリーやら定跡やらを要求しない)
自分が不運にみまわれても腐らない。
ゲーム内での行動において、感情的になったり好き嫌いを入れたりせず、フェアネス(公正さ)を保つ。
自分のプレイに対して、いちいち言い訳したり失敗の予防線を張るような発言はしない。(それが独り言であろうとなかろうと)
勝っても負けてもきちんと挨拶。
などなど…

 

その多くの気配りは、ふだんの生活の延長に過ぎないものですが、至らない点はトレーニングしましょう。
トレーニングをすると、相手の立場にたって考える想像力、相手の振る舞いに気を配る観察力、自身の感情を制御する精神的スキルなどが向上するでしょう。

 

そういえば、気配りということについて、「気配り、目配り、思いやり」という言葉を昔どこかで聞きましたが、ともにゲームを楽しむ相手に対して、この「気配り、目配り、思いやり」を忘れないようにしたいものです。(自戒をこめて)

 

 



「身体」と「知能」は、遺伝の影響が大きいそうです。(身体や知能のどういう要素かにもよるようですが)
もしも、自分が遺伝的に「身体」や「知能」の資質に恵まれていない場合、トレーニングによってそれらのスキルを上昇させることには限度があるでしょう。

 

では、資質に恵まれていない(遺伝的に制約がある)からといって、そのスキルの上昇を放棄して資質の恵まれたスキルに集中したほうがいいかというと、そうとも言えません。
なぜなら、戦ったり競争したりするゲームで上手くなろうと決めたからには、戦う上で「弱点になること」は、潰しておかなければならないからです。

 

戦いでは、弱点は必ず突かれます。
資質に恵まれていないからといって、その資質に恵まれていないスキルをレベルの低いままにしておくと、それは弱点となり、敵に勝つチャンスを与えることになります。
それは勝負者としてよろしくないので、資質に恵まれていなくとも、「弱点にならない程度」にはスキルを上昇させるほうがよいでしょう。

 

※もちろん、生まれつき授かった資質を充分に活かしたほうがいいので、「勝つ」ことを目的とするなら、自分の資質にあったゲームを選択したほうがいいでしょう。


「身体」の資質があるなら、身体的スキルによって勝負が決まりやすいゲームを選ぶべきですし、「知能」の資質があるなら、知能的スキルによって勝負が決まりやすいゲームを選ぶべきです。

 

※「精神」にも遺伝の影響はあるでしょう。
だって、みんな性格違うから。(性格=生まれついての精神的資質、と考えています)

 

余談になりますが、性格に応じて精神的スキルのトレーニング方法は変わるでしょう。
たとえば…

 

勇敢な性格ならば、行動する勇気はすでにあるので、「待つべき状況において、きちんと待つことを判断して実行できる平常心」、「あるいは待つことを恐れない勇気」をトレーニングするべきでしょう。


(ただ、行動する勇気がすでにあるのか、あるいは、そもそもリスクを考えないから勇気がなくても行動できているのか、については考える必要があるでしょう。
後者の場合、まずトレーニングすべきはリスク管理という知能的スキルでしょう)

 

臆病な性格なら、「3つのスキルについて」のところで説明したとおり、「マイナスのリスク(つまり危険性)に対して自分が抱く、恐れという感情に立ち向かう勇気」をトレーニングするべきでしょう。


(ただ、その人が「臆病な性格」であるかどうかを判断するには注意が必要です。
行動をためらっているからといって、臆病かどうかはわかりません。
臆病であるがゆえに危険性を心理的に大きく見積もっているから行動をためらっているのか、リスク管理が下手で危険性を大きく見積もっているから臆病でもないのに行動をためらうことになっているのか、という点については考えなければいけないでしょう。
これらのことを考えていないと、「臆病な性格」であると決めつけて、やらなくてもいい精神的トレーニングをしたりすることになってしまいます)

 

いやはや、「己(の性格)を(分析して)知る」ことのなんと難しいことか……(投げやりEND